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三上紗也可の出身(プロフ)や経歴は?コーチや記憶障害についても!

飛び込みで東京オリンピック代表に内定している三上紗也可選手。

三上紗也可選手は「どこの出身でどういう経歴なのか?」「コーチや記憶障害って?」と気になる方も多いんではないでしょうか?

そこで今回は「三上紗也可の出身(プロフ)や経歴は?コーチや記憶障害についても!」をお伝えしたいと思います。

三上紗也可の出身(プロフ)や経歴は?

三上紗也可選手の出身も含めたプロフィールや経歴をまとめてみたのでご紹介します。

三上紗也可のプロフィール

生年月日 2000年12月8日(2020年10月時点で19歳)
生誕地 鳥取県米子市
身長 155 cm
体重 53 kg
趣味 読書・K-POPを聴くこと
所属 米子ダイビングクラブ
中学校 米子市立後藤ヶ丘中学校
高校 鳥取県立米子南高等学校
大学 日本体育大学体育学部 ※現在 在学中

 

三上紗也可の経歴

小学2年生の時に飛び込みを始めた三上紗也可選手。

始めたキッカケは、小学校で配られた飛び込み教室のチラシを見て「体験教室」に参加したことだったようです。

そして小学4年生から、安田千万樹(ちまき)コーチの指導受けるようになりました。

高2の冬には安田コーチに「目標をかなえるには退路を断つことも必要」という言葉に納得し高校卒業後は大学に進学せずに地元で競技一本の生活を送ったそうです。

2020年4月、高校卒業して1年経ってから、オリンピックを目指す練習環境や将来のことを考え日本体育大学体育学部体育学科に進学しました。

 

三上紗也可の成績

●小学5年生 全国2位

●中学時代 ジュニア国際大会 優勝

●2017年 3mシンクロ板飛込 宮本葉月と組んで優勝

●2018年 3m板飛び込み 初優勝

●2018年 ジャカルタアジア大会 3m板飛び込み 4位

宮本葉月と組んだシンクロ板飛び込み 5位

始めたのが小学2年生と幼かったからこそ、大人よりも恐怖心がなく、飛べたんでしょうか?

でもそれにしてもすごい度胸ですよね^^;

三上紗也可は意識障害になった?

三上選手はケガのせいで一時期、健忘症になったそうです。

今までも腰椎分離症などのケガをしてきたが、17年7月高校2年生の高知市での大会中、飛び板に後頭部を強打して17針も縫う大ケガをしました。

意識はあり、受け答えもしっかりしていたのだが、

三上選手「私、今日何してましたっけ?」

安田コーチ「頭を打って病院にきてるんだよ」

と答えると、また5分後に同じ質問を3回繰り返して、慌てて再診察を受けたそうです。

 

すると医師から健忘症と診断され1日入院しました。

 

入院中も「なぜ寝てるんですか?」と同じ質問を繰り返したそうです。

この大ケガに安田コーチは責任を感じ、指導を辞退したいと申し入れたが

三上選手は強打した瞬間の記憶がなく、ケガへの恐怖心もほとんどなかったのと

「夢の途中で諦める訳にはいかない」

とわずか1週間ほどでプールに戻ってきたそうです。

その姿をみて、安田コーチもプールサイドに戻ったそうです。

 

今現在は後遺症などもないようなので、よかったですね^^

 

しかし17針も縫い、一時期でも健忘症になってしまうほど頭を強打したのに、1週間でプールに戻ってきたのには驚きましたね。

それほど、夢に強い思いがあったんでしょうね。

安田千万樹(ちまき)コーチとは?

三上紗也可選手が小学校4年生の時からコーチをし、二人三脚で一緒に頑張ってきた安田千万樹(ちまき)コーチ。

安田コーチ自身も、小学6年から飛び込みの世界に入り、1994年には広島アジア大会男子3m板飛び込みで銅メダルを獲得し、オリンピックを目指していたが、1996年のアトランタ五輪の代表をあと一歩で逃してしまいました。

翌年の国体を最後に引退し、故郷の鳥取県米子市に戻ると、高校の体育教師をしながら、自ら育った飛び込みクラブ「米子ダイビングクラブ」で指導を始めるようになり、そこで三上選手と出会ったそうです。

そして2016年に安田コーチは高校教員を辞めて、三上選手は大学進学を先延ばしし2人は競技に集中できる環境を作った。

安田コーチの目標だったオリンピックを教え子の三上選手が叶えるってステキな話ですよね^^

まとめ

今回は「三上紗也可の出身(プロフ)や経歴は?コーチや記憶障害についても!」についてお伝えしました。

小学2年生の時の「体験教室」から始めた飛び込みで、健忘症を患ってしまうほど頭を強打し大ケガを負っても夢に向かって頑張っている三上紗也可選手。

そして三上選手を支えながら指導している安田コーチ。

ぜひ2人二人三脚でオリンピックメダルを取ってもらいたいですね♪